病院とはかけはなれた異常な組織
わたしが新卒から7年間働いた総合病院は、今一番ブラックな病院のような気がする。ここでは名前を出せないくらい、有名な病院だ。地域には貢献していた病院かもしれない。24時間救急体制を取っており、いつでも入院、外来受診を受け入れていた。ただ、入職当時、わたしがこの病院で働いているというと、「あぁ、あの病院ね・・」と苦笑いをされた。当時、入職したばかりのわたしには、みんなのその反応の意味が分からなかった。でも、わたしがその意味を理解するまでにはそれほど時間はかからなかったが・・。最近ではニュースでもチラチラとトップの方たちが逮捕やら何やらとお騒がせしているようだ。おそらく、早かれ遅かれみんながこの事態を予感していたことなのかもしれない。
新卒からの初めてのナースの仕事、期待と不安がありながらも、わたしはどうも病院で働いている気はしなかった。なぜか違和感を感じた。どこか別の会社、または宗教団体かのような雰囲気があった。特に毎朝の全体朝礼。看護業務で忙しい時にこの15分間の全体朝礼のために数人抜けなくてはならなかった。病棟が忙しく、朝礼に行けなかったりすることもあったが激しく罵倒された。本来の仕事が忙しく、正当な理由があるのにも関わらずこのようなことは当たり前のように起こった。
わたしは後に別の病院で働いたが、雰囲気は全く違ったし、奇妙な時間の無駄な全体朝礼などなかった。これが当たり前なのだと思ってきたけど、辞めてからやっぱり色々とおかしかったのだと思った。何が他にもおかしいことがあるのかって?色々あるのだが、わたしがここで言える範囲のことを、その一部を順に書き留めてみたい。
看護業務そっちのけで選挙活動?
あれは確か入社して2,3か月くらいの時だったか、参議院か衆議院選の時期だっただろうか。勤務中に各病棟から二人ずつ、時間差で45分ほど別室に呼ばれた。何が起こるのか分からず、とりあえずわたしは先輩ナースについて行った。部屋には他の職種のスタッフもいて、テーブルには電話と電話帳が各椅子ごとに置かれていた。特に説明などはなく、みんな慣れたように、「○○を、どうぞよろしくお願い致します。」と見ず知らず人に電話をし始めた。わたしはかなりビックリした。なぜこんなことをするのかと。ナースとして期待を膨らませて働き始めたわたしにはかなりショックな仕事だったしやりたくなかった。なんと気まずい電話。そして看護業務には関係ない・・。ぎこちなく電話でしゃべる自分が恥ずかしくてたまらなかった。
こういう選挙活動からみの仕事がこの病院には多々あった。ナース、薬剤師、リハビリスタッフたちでさえこのようなことをしていたのだから、事務系スタッフはこれ以上のことをしていたことは明らかだったのは言うまでもない。ただ、ドクターは、病院長以外はこの病院の奇妙な実態に巻き込まれている感じではなかった。権力の差だからなのか、ドクターはラッキーだなといつも思っていた。
残業というタダ働き・消える有給休暇
ブラックな部分はこれだけではない。ナースにとっては最悪の環境だった。当然のように切り捨てられる有給休暇。サーベイが入ると慌てて、いつの間に用意していたのだ??と思わされる謎のゆるやかな勤務の勤務表にすり替わる・・。年間20日近くある年休は繰り越されることなく何事もなかったように全て切り捨て。使うこともできず、当然休みは少ない。有給休暇届けを見るたびに、こんなに有給あるのに・・といつも嘆いていた。
わたしがこの病院で働いてきた7年間で、一番長い連休は4連休が年に1回だけだった。なんと、4連休だ。たったの。今でも呆れて笑いが出てくる。残業も2,3時間は当たり前。時には5,6時間も当たり前。4時間過ぎたあたりで1時間の残業手当がもらえれば良い方だ。残業だけでなく、出勤前には1時間から1時間半前には出勤してこないと業務が終わらなかった。早めに出勤、残業が暗黙の了解だった。
それでも当時はそれが当たり前なのだと思っており、過酷な状況で働いてきた自分に労いの言葉をかけてあげたいし、世間知らずだったなと思った後悔の念もある。あの時自分が労働基準法に違反している!と声をあげ、厚生労働省にでも潜り込んでいたなら何か変わっていたのだろうか、と今でも思う。
看護部長とわたしの温度差-当然の権利
そして極めつけは退職前のことだった。忙しい急性期の大病院であったため、半年以上前には退職の旨を伝えていたし受領されていた。辞める前に、少しでも有給休暇を消化したいと思い、病棟師長にお願いした。師長さんは難しいかもと言っていたが、その年の全ての有給休暇を消化することはできなかったが80%近く、最後の月は数日のみの出勤で済んだ。ほとんどのスタッフは辞める前には1週間ほどしか有給休暇を消化しないのに対し、わたしは3週間頂けたのでこれは掛け合ってくれた師長さんに本当に感謝したい。
そして事件は起こった。忘れもしないこの日は退職日当日のことだった。この病院の300人の看護師を率いるトップの看護部長に一応挨拶に行った。お世話になりましたと当たりさわりなく述べた後、とんでもないことを言われた。自分の耳を疑うくらい信じられなかった。今でもあのシーンをはっきりと覚えている。おそらく、わたしが社会人として働く限り一生忘れることはないだろう。この病院を辞めて本当に良かったと思った日であり、これからは前に進むのみだと、自分を奮い立たせた日だった。その看護部長はわたしにこう言った。
「あなたは有給休暇を辞める前にたくさん取ったらしいわね。あなたが休んだせいで残りのスタッフがどれだけ忙しい思いをしていると思うの?自分勝手だと思わないの?身勝手なことをしたと思わないの?」
有給休暇(当然の権利)を取りたい
まさか穏やかな挨拶の後にそのようなことを言われるなんて思いもしなかったし、驚いたし、怒りが込み上げてきた。副看護部長二人もその部屋に居たが、うつむき加減でわたしの顔を見ていなかった。看護部長だけがわたしの顔を睨みつけるように見ていた。わたしは3秒間ほど心の中で、当然の権利を主張しただけで何の非があるのかと、労働基準法に違反していると裁判を起こすしかないのかと、呆然と考えていた。いたたまれなくなり、わたしはこう言い放った。
「確かに一人少ない状態で働くことは大変ですし、頑張ってくれたみんなには感謝しています。素晴らしいスタッフに恵まれ、あの病棟であのスタッフとたちと働けたことは本当に感謝でいっぱいです。でもわたしは退職の旨を半年以上前には伝えました。その後スタッフを募集するなり補充するのは看護部長の仕事だと思います。わたしのせいにしないでください。求人を出しても来ないなら、スタッフにとって働きやすい環境は何なのかをもう一度考えてみてください。それと、有給休暇を頂くことは働くうえで当然の権利だと思っています。わたしだけでなく、全ての人に与えられます。みんなに有給休暇をきちんとあげてください。毎年切り捨てられ退職前でさえほとんど使うことが出来ないのは酷すぎます。どうかもう一度考え直してみてください。よろしくお願いします。」
わたし自身、驚くほどに冷静に話していた。悔しくてその場で泣きたいくらいだったがこらえ、平常心を保とうと必死だった。わたしもさすがにその時はかなり緊張していたと思う。しかしわたしの思惑とは裏腹に、看護部長はわたしに対して何も言い返さなかった。わたしは4,5秒ほど反応を待ったあと一礼をし、無言で部屋を出た。部屋を出た瞬間、涙があふれてきた。軽蔑されたような批判をされた悔しさと、やっと言ってやった!という心の底からガッツポーズが出てくるような達成感。きっとわたしの言ったことなんて流されているだけだろうが。
その後後輩たちからは、変わらず有給休暇の消化は難しく、ほとんどの人が未だに奴隷のように働かされていると聞かされる。
ブラックだから辞めていく?73人から4人へ
今思い起こせば、わたしを含めたくさんの人が辞めていったし、この病院にとってそれがごく普通の流れだったのかもしれない。たくさんの人が入職し、たくさんの人が辞めていく、その繰り返し。決して長くいたいと思える病院ではない。
わたしが入職した日、4月1日、73人もの新人ナースがこの病院に就職した。最初の1週間は全体研修が行われていたし、各自番号も与えられていたので後ろの方に居たわたしはこの番号をはっきりと覚えていた。しかし驚くことに、わたしが辞めるまでの7年間、わたしが辞める時に当時のメンバーが残っていたのはたったの4人だけだった。たったの4人。ゲームの勝ち抜き戦くらいの勢いだ。1か月、3か月、1年、3年とたくさんのナースが離れて行った。女性看護師が多い中、もちろん結婚退職なども含めてだが、この数の減り方は異常ではないだろう。みんな薄々と危険だと思っていたに違いない。
この病院は今でもニュースでよく耳にするし、評判は最悪だ。他にもブラックなことは多々あるけど、言い出したらきりがない。ここでは病院名を伏せておきたいが、おそらく勘付く人はいるだろう。病院経営も異常なことながらスタッフの環境も最悪だった。何よりトップがおかしい。上層部も洗脳されているとしか思えず、馬鹿らしいことを当たり前と思い異常なふるまいをしていた。トップが逮捕されたニュースを見たのはわたしが退職してから5,6年経った後だった。あぁ、ついに、やっぱり、と思えた瞬間だった。全てが明るみに出ればいい。本当に最悪な病院だった。もちろん二度と戻らないが。